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日誌

ブッククラブ11月

先日、第7回アウラブッククラブが行われました。

方丈記を読んでいく、このブッククラブ。この日は、長明が日野に隠棲するようになったところを読んでいきました。
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若き日に暮らした家の1000分の1に過ぎない小さな方丈の庵での生活を、和漢を問わぬ多様な典拠に基づきこれでもかというほどの美文で素晴らしいと語る長明。ですがその最後、こんな文章が現れます。
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そもそも、一期の月影かたぶきて、余算の山の端に近し。たちまちに、三途の闇にむかはんとす。何のわざをかかこたむとする。仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、閑寂に着するも、障りなるべし。いかが、要なき楽しみを述べて、あたら、時を過ぐさむ。
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人生が終焉に向かっている身なのに、何について弁明しようとしているのか。仏の教えとは、何につけても執着心を持つなということだ。今この草庵を愛するのも、閑寂に執着するのも、往生の妨げだ。無用な楽しみについて述べて、惜しむべき残されたわずかな時を空しく過ごしてよいものか。
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え!?さっきまであれほど方丈の暮らしについて語っていたのに、最後の最後に「今、草庵を愛するも、閑寂に着するも、障りなるべし」ですと!?と驚きます。が、びっくりすると同時に、そういう人間らしいところがこの長明が描き出す方丈記の魅力なのかなぁとも思ったり…。
うしろだてを失った「みなしご」として生きた長明。実際に現地を歩いたかのような臨場感のある文章を書いた、長明。そんな長明が最後に行き着いた境地と、彼がそこで見たものは一体どんなものなのか…?
次回の最終回を楽しみに待ちたいと思います。興味をお持ちの方は、ぜひお申し込みください。