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日誌

京都新聞「家族支援テーマに議論」

不登校や引きこもりで悩む本人や家族の支援策を考える「なんたん子ども若者ネットワーク会議」の第4回目が開催されました。

南丹広域振興局で行われた会議の模様が、11月14日の京都新聞に掲載されています。

 

 

参加した方のアンケートには、

 

  ・様々な立場からの意見・情報を聞くことができた

  ・相談を受ける側の悩みや課題を共有できた

  ・他機関とのつながりができ、今後に活かせそう

  ・市町村によって参加率が違うので、もっと広く呼び掛けたい

 

などの感想があげられました。

 

 

 

僕は会議に出席することができなかったのですが、新聞記事やアンケートの内容を見て

「つながりを作る目的」について考えさせられました。

 

 

 

この会議は、行政や教育、就労支援の関係者らが「横」のつながりを持ち、ケアを充実させることを目的にしています。

しかし、僕はこの「ケアを充実させる」という目的に対して少し違和感を抱きました。

 

 

 

確かに、ケアを充実させることはとても大切だと思います。

学びの森ではできないことを、横のつながりでカバーしてもらうこともしばしばあります。

自分たちの「限界」を知り、その上で連携していくことが、ケアを充実させるうえで大事だとも思っています。

 

 

 

でもそれは「ケアを充実させる」ことが目的でなくてもいいんじゃないでしょうか。

そこが目的になる限り、僕の中では「支援者ー被支援者(当事者)」という構造がどうしても付きまとう気がするんです。

なんでその構造が悪いのか、についてここで説明すると長くなるのでやめますが、個人的にそれでは面白くないんです。

 

 

 

僕の中で「つながり」は、自分のためにつくるものなんです。

つながりの中で自分が学べるし、自分が面白いと思う経験ができるから。

それがどこかのタイミングで、学びの森の生徒ともつながるときもあります。

 

 

 

そのつながりは僕にとって「支援者ー被支援者(当事者)」という構造の中ではおさめられるものではないんです。

でも、それが結果的に「ケアを充実させる」ことにつながるかもしれない。

 

 

 

こんな風に「つながりを作る目的」を考えてもいいんじゃないかなと思いました。

会議に出ていないのに偉そうですし、全然検討違いのことを書いているかもしれません。

でももし次回会議に参加することができたら、このあたりのことを聞いてみたいな~と思った次第です。

 

 

 

皆さまも新聞記事、読んでみてください。