MENU

日誌

鴨長明恐るべし・・・

知誠館の生徒が地域の方々と交流しながら一緒に学ぶ場を作ろう
ということで、「アウラ・ブッククラブ」という読書会を始めました。
扱う文学作品は、鴨長明の『方丈記』です。


今回はその第2回目。
前回までは鴨長明の出自や『方丈記』を書くに至った経緯を学びましたが、今回はいよいよ本文に入りました。








─ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。








有名な冒頭部分ですよね。
私は中学生のころ、この冒頭部分を暗記した覚えがあります。








なぜかって?
そりゃテストに出るぞと言われたからです。








だから、本文についてはここまでしか読んだことはありませんでした。
でも初めて序にあたる部分を読んでみると…








なんだかリズムがいいんです。
古文って、この文章どこで切ったらええねん!とか、あれ?読んでたらわけわからんくなってきた!とか
とにかく一文が長いイメージがあったのですが、方丈記は違いました。








もともと「記」というのは、中国から伝わった散文形式の文体で書かれた事実の記録です。
だから長明が『方丈記』を残すまでは、みんな漢文で書いていたみたいです。








長明は、中国の散文の書き方を、日本のそれまでの文学・文化・仏教・その他もろもろを踏まえた上で、新しい独自の「記」のスタイルを作ろうとしたようです。
対句や倒置などの表現技法を用いて書かれるテンポの良い文章は、声に出して読むとなおすごさが伝わってきました。








また、長明が意識した読み手は当時の知識人たち。
いわば漢文や漢詩、和歌などに精通していることが教養として当たり前になっている人たちを相手にしたわけです。








文章だけ追っていけばサラっと読めてしまいますが、ちょっとでも掘って読んでいくと、もう次から次へと前提となる知識体系が出てきます。
例えば、冒頭部分。
─ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。…
この部分は、「河」という大きな枠組みでは変わらず存在するものが、「水」という常に変わり続けるもので構成されているという、この世界のある種普遍的なものを描いているんです。








ギリシャの自然哲学を思い起こさせるような内容になっているし、こういう人の一生を「水」に例えるのは中国の思想家たちがさかんにおこなったものでした。
それを前提としてのこの文章…








そんな文章がずーっと書かれているからたまりません。
長明の頭どないなっとんねん…
私はもうため息しか出ませんでした。








まぁそうやって一つひとつの文章を丁寧にみんなで読んでいくことと、その文章を読んでどう思うかなどを話し合った2時間となりました。
生徒とこんな感じで文章を読んでいくことはあるのですが、地域の方とこういうことをしたことがなかったので、とても新鮮でした。








この「アウラ・ブッククラブ」は途中参加も可能です!
1回きりでも連続でも、その場に集まった人たちで本を読み、考えを共有することができます。
このブログを見て、面白そうだなーと思った方は、0771-29-5800までお電話ください。








次回は7月26日(火)の10:30~12:30
ぜひ気軽にご参加くださいませ!
20160629_145120.JPG
20160629_145158.JPG